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 判決の前に、自由に物を言う機会を設けてくださったことに感謝します。これでどのような判決がくだろうとも、私はそれを甘受できると思います。
 これから私が述べることは、半分は私自身のことでありますが、本当に伝えたいことは「彼女」のことであります。私がこの場この席に立つようになった経緯については、これまでの審理を通じて皆様ご承知のとおりと心得ておりますが、これより話すのは、それとは直接に関係ない部分でございます。すでに今はこの世にいない、私自身がそうしてしまったところの「彼女」のことを話すのは、「彼女」自身の反論を許さない点で公正なものとは言い難くあり、この私のごく個人的な心情が裁判に及ぼす影響は無いものと承知しておりますことを、あらかじめ明言しておきます。
──私が「彼女」と初めて出会ったのは、月日にすれば夏期休暇のさなかであり、場所で言えば西日が全てを赤黒く染め上げる母校の――私がかつて通っていた学校の、特別教室の一室でありました。
 そこで行われていた行為は、今思い出しても酸鼻を極めるとしか言いようのないものでありました。「彼女」は、そこで、全裸になり、数人の男子生徒と女子生徒によって、曰く言いがたい人間の尊厳の蹂躙行為を受けていたのです。
 このような婉曲な表現を使うことをお許しください。私はそれを今でも詳細に覚えておりますが、それを直接的に表現しようと考えるだけで大変な苦痛を覚えるからです。その蹂躙行為に参加していたかつての同級生たちの名前と所属していたクラスでさえ、私は今でも一点の曇りなく覚えていますが、しかしながらそれを口にすることにはもはや意味はない状況になってしまいました。と言うのも、彼らの行った「彼女」に対する蹂躙行為を訴えようとも、訴える主体たる「彼女」自身がすでにこの世にいないからであります。加えて、私はこの一連の出来事については、これ以上事を荒立てる意思を持たないからでもあります。
 ただ、仮に「彼女」が今でも健在であったとしても、決して彼らを訴えるようなことはしなかったでしょう。何故ならば「彼女」は、その行為を、全て甘んじて受け入れていたからであります。

 かつて「売春」やそれに類する行為を、私は非常に強い嫌悪とともに汚辱に満ちた、非合理的なものであると子供らしい潔癖さでもって考えていました。しかしそれも、その行為を見たとたんに、むしろ社会を健全で円滑にするために必要不可欠なシステムの一部と肯定的にとらえるようになっていました。
「売春」では、性行為とともに金品の移動が行われます。いわばそれを互いの合意に基づく商行為ととらえることができます。そこにはお互いに対する信頼関係が程度の差こそあれ築かれるでしょう。そしてその信頼関係は、やがて感情を排したビジネス的なものから、人間らしい感情に基づく絆に昇華する可能性すら内包しています。少なくとも、その可能性は全くの無ではないのです。
 その意味でおいて「売春」やそれに類する行為は、主に買う側に回る男性の抑えがたい欲望と、それを解消することで対価を要求する女性側の間で、お互いの「ありのままを認めあう」と言う、人間社会でそうあって欲しい構造の具現のように思えたのです。
 さて、何故このようなことを長々しくも述べたかと言うと、お気づきの方もすでにいらっしゃるとは思いますが、それは、彼らが「彼女」に行った行為の中には、全くと言っていいほどにそういう「相手を認める気持ち」が欠如していたからであります。少なくとも、私にはそれを感じることができなかったのです。

 主に男子生徒が「彼女」を物理的に、まさに容赦なく蹂躙しておりました。数人の女子生徒は、男子生徒が「彼女」を蹂躙する様を、それはそれは酷薄な薄笑いを浮かべながら眺めておりました。彼らは、忘れ物を取りに来た私が教室の入り口を開けても、全く反応を示さず、行為を続けておりました。