俺はそれを一応の確信を持って起動させた。この完全武装し戦車数両を伴った一個小隊に追われる哀れな人間が、究極兵器が入っていると言う触れ込みのコンテナを前にしてできることと言ったらこれくらいだろう。もちろん、何もしないと言う選択肢はあるだろうが、その結果はとても快適とは言い難い結果を招くだろうから、俺は開ける方を選んだのだ。
 固体と液体が半々に混じった水素の中から、「それ」は身を起こした。「それ」がぶるぶるっと身震いすると、水素は酸素と化合した上に大量のエネルギーを与えられ、つまりは水になってゆかに小さな池を作った。「それ」はてくてくと歩き出し、俺の目の前までやってくると、スカートの両端をちょんとつまんで持ち上げ、片足を後ろに下げて頭を下げた。優雅でかわいい非の打ち所のないお辞儀だった。
「おはようございます、ご主人様。これからあなたがご主人様でなくなるまで、ずっとお仕えさせていただくモノでございます」
「それ」を作った奴は狂ってる、と思った。後で「それ」から話を聞いて、この時の直感は間違っていなかったことを嫌になるほど思い知ることになる。

「……その、なんだ。絶対メイドだったか? 聞いたことはある。ただそれは、兵器だったと思うんだが」
 すると「それ」は、お辞儀をやめてにこやかに微笑んだ。確かに魅力的だが、無個性だ。ダッチワイフだってもっと個性があるだろう。
「はい、私は兵器です。この世で最も強力な兵器であるところの『人間』を模して、その能力を最大限に拡張した上で制御機能を加えた究極兵器として設計製造されました」
「……しかし、今の状況ではあまり役に立ちそうもないな」
 そのメイドはちょっと耳を澄ますような素振りをした。
「……あら、戦車ですね。3両。ご主人様は軍事オタクですか? 種類まで言いましょうか。兵士数は歩兵戦車兵あわせて125名ですね。捜索活動をしていますが、ご主人様を探しているのですね?」
「わかるのか?」
「このペースなら、4分21秒後にご主人様の背後の壁を最初の戦車が打ち破って登場しますね」
「……逃げるか」
「はあ」
 間の抜けたメイドの返事を聞いて、俺はちょっと頭に来た。
「他に手があるのか」
「実力行使をして無力化するとか」
「できるのか」
「できますわ」
「……どのくらいの確率で?」
「できると言えばできるのです。100%ですよ」
 俺はごく普通の感想をもらした。普通だと思う。普通だろ?
「信じられない」
「ご随意に」
 メイドは肩をすくめた。
「……証拠を見せろ」
「戦術プランを提出しましょうか。しかしそれを吟味している間に接敵してしまうでしょうが」
「……わかった。やってみろ、絶対メイド」
「かしこまりました」
 メイドはそう言って再び完璧なお辞儀をした。それから、スタスタとコンテナから出て行った。醤油が切れたから三河屋に買い物に行こう。そんな気楽さ。
 メイドが行ってしまってから、俺はこのコンテナの出入口が一つしかないことに気付いた。つまり、メイドをおとりにして自分だけ逃げるにしても、今メイドが出て行った扉を使わなければならないと言うことだ。俺は少しためらったが、しょうがない、扉からそっと顔を見せた。
「……遅かったか」
 コンテナの周辺は、俺を追ってきた一個小隊で完全に包囲されていた。そしてその前にはさきほどのメイドの後姿が見えた。緊張感が目に見えて手で触れそうなくらいだった。
 それからの3分間は、歴史に残る3分間だと俺は思う。何せ、武器も持たない丸腰のメイドが、完全武装した一個小隊を全滅させたのだから。
 メイドのスカートがふわり、と翻った。それが3分間の開始の合図だった。メイドの機動は完全だった。完全としか言い様がなかった。敵が撃った弾は全て外れるか同士討ちを起こした。兵士の体を盾とし、感覚的な、意識的な、物理的な死角を踊るように歩き、跳ね、走り、舞った。目を疑った戦車兵が視認しようと顔を出した途端、メイドにとびつかれて頚骨を折られて死んだ。その体を反動を殺さずに投げ捨て、メイドは車内に侵入する。中で何が起こったかは見ていないが、戦車が仲間に向かって発砲したことから大体想像はできた。制式採用だかの最新式戦車は超信地旋回した後、歩兵をひき殺しながら別の戦車に体当たり。うまく瓦礫に乗り上げさせてそのまま横倒しにする。その機動をしながら同時に砲塔を旋回、別の同僚を狙う。後方の戦車が完全に横倒しになって機動がとまるのと同時に発砲。唖然とする同僚機を炎上させる。轟音を利用して車外に脱出。戦車の上部甲板にある機関銃で周囲を一斉掃射。歩兵がバタバタと倒れる。目端の利く歩兵が物陰に隠れ反撃の態勢を整えると、メイドはさっと立ち上がり、廃墟のビルに姿を消す。
「戻りました」
「うわあ!」
 気がついたら、メイドがコンテナの中、俺の横に立っていた。
「伏せてください」
 メイドは驚く俺の関節を取ってコンテナの床に伏せさせ、物陰に隠れた。メイドが上からのしかかるが、重くはないくせに全然動けなかった。途端に戦車が爆発。ナパームをまき散らかして兵士たちを生死の区別なく焼き尽くした。しばらくして横倒れになった戦車も爆発した。ナパームの炎にてらてらあぶられて車内の温度が火薬の自然発火点を超えてしまったのだろう。その前に乗員は蒸し焼きになっていただろうが。
 全ての兵士が死ぬまで3分間。鎮火するまでにはもっと時間がかかったが、それはまあ勘定に入れなくてもいいだろう。
「ほら、片付きましたよ、ご主人様」
 お部屋のお掃除しときました――そんな晴れやかな笑顔でメイドは言った。

「この度は、絶対メイドのマスターとなりましたこと、おめでとうございます」
「はあ」
「つきましては、機能解説をさせていただきます」
「うん」
「何ができるかにつきましては、長い長いリストがございまして、それを説明し始めると終わりませんので割愛させていただきますが、さきほどの戦闘はそのごく一部でしかないとだけ申し上げておきます。およそ『人間にできることならなんでも、ひどくうまくできる』とだけ覚えておいてくださいまし」
「へえ」
「『どのような基準で』と申しますと、私たち絶対メイドはメイド三原則によってその行動を決めております」
アシモフ先生の?」
「あれをベースにして修正を加えたものです」
「ほう」
「第一条・絶対メイドはマスターの生命を守らなければならない。第二条・絶対メイドはマスターの命令に従わなければならない。ただし、一条が優先。第三条・絶対メイドは自分の身を守らなければならない。ただし、一条、二条が優先」
「なるほど」
 俺は本当に感心していた。この変更は、ロボット三原則が持ついくつかの根本的な弱点をうまくカバーしている。不特定多数いる人間をたった一人の主人に変更することで、複数の人の命を天秤にかけるシチュエーションも無効になるし、主人を守るために他の人間を殺すことが全く問題なくなるからだ。
「そして、第一条にも修正が加えられており、物理的、肉体的な危険にのみ守らなければならないとされています」
「え? ああ、そうか。『うそつき』だね」
「左様でございます。絶対メイドはマスターを絶対に守りますが、それは肉体的な危機にのみ限定されますので、ご主人様の心が傷ついても私は頓着いたしません」
「心、ね」
「『人間にできることならなんでもできる』ので、私はご主人様が今何を考えているかくらいはリアルタイムで把握しております」
「そりゃまた怖いな」
「と、今ご主人様が精神的な危機を感じておりますが、それは私が守る対象ではございません」
「よくわかったよ。じゃあ、たとえば、俺に最愛の女房がいて、彼女が素手で人を殺す闇の組織の殺し屋で俺の命を取る指令をくだされたとしたら?」
「ご主人様は悲しむでしょうが、躊躇なく私はその女性を無力化しますね」
「よくできてるねえ」
「ありがとうございます」
 メイドはいつもの完璧なお辞儀をした。しかしこうも完璧だとかえって皮肉に見える。
「皮肉っぽいな」
「ご主人様のお言葉も、皮肉だったのでは?」
 駄目だこりゃ。皮肉の応酬も能力の内なんだろうな。とは言え、こいつは大きな拾い物だ。当座の身の振り方は一安心と言ったところだ。
「いつまでもここでこうしていてもしょうがないな。とりあえず街に戻って休めるところを探そう」
「はい、先導いたします」
 俺とメイドは歩き出した。道すがら、メイドの能力に関する話を続ける。
「俺はいつまでお前のマスターでいられる?」
「ご主人様が死ぬか、ご主人様が私の前で自主的に権利を放棄する時までです」
「もしマスターがいなくなったら?」
「その時一番近くにいる、元マスター以外の人をマスターとします」
「お前の機能について質問だ。たとえば組織を運営したりできるのか?」
「会社ですか、軍隊ですか? 特に問題はないと思いますが。経営理論についても、実際の交渉についても充分な機能がありますが」
「軍隊か……自分だけでなくて、他のコマも含めた戦術や戦略もできるのか?」
「はい、できます」
「さっきの戦闘では力を全然使わずにいたみたいだが、力まかせなこともできるのか?」
「できます。相撲取りと正面からぶつかっても大丈夫ですよ」
「わかりやすいたとえをありがとう」
「どういたしまして」
 メイドは歩きながら完璧なお辞儀をしてみせた。全くもってたいしたもんだ。
「株は?」
「できます。なんなら市場操作も」
「国家運営も?」
「できるでしょう。ご主人様のお望みは国盗りですか?」
「そこまではまだ考えてない。自分の器ってもんもあるだろうしな」
「ははあ、小市民な生活で満足だと思っていらっしゃる」
「本当、言葉の暴力を平気で主人に向けるね」
「兵器ですから」
「究極兵器と言うのは確からしいな。その気になれば国家転覆くらいできるだろうし。となると疑問がいくつか出てくる」
「なんなりと」
「一つはお前の意義だ。もう一つはお前の同型機だ」
「後者につきましては、ええ、確かに他に11機の姉妹機がおります。その内誰が稼働しているかまではわかりません。前者につきましては、『ドラゴン・プロジェクト』で説明ができます」
「『ドラゴン・プロジェクト』?」
「はい。有史以前から存在していた究極兵器『龍』を人工的に再現しようと言う計画です。実施して私を完成させたのは他世界籍企業グローリアですが、企画立案出資したのはもっと上のもっと謎の組織だそうです」
「謎の組織とか言うなよ。ツッコミどころかそれは」
「謎は謎ですからしょうがありません。私のデータバンクにないんですから」
「で、その『龍』ってのはなんだ。アレか? 蛇みたいな体してふわふわ浮いてる奴か」
「ちょっと違いますねえ。『龍』は肉体的にはただの人間の範疇を出ませんが、その精神の在り方において違う存在です。それも大きく違う訳ではありません。天才とか言われるようなものでもありません。普通人の感性も理解するためには、天才でいてはいけないのです」
「なんか矛盾だな。それじゃ本当に普通の人間と変わらないぞ」
「そうです。変わらないんです。違うのは、秘めた能力ではなくて、記録に残らない動きにあるんです」
「動き?」
「ええ、龍は人と少し違う動きをします。違うと言うか、人よりもちょっと無駄がなくて人よりもちょっと精力的に動きます。ただ、そのちょっと違う動きを一生続けるんです。ただ生きているだけでどんどん他の常人と差をあけていくんです」
複雑系な感じだな。カオスって奴か」
「そうとも言えます。ほんのちょっとの努力を毎日毎日積み重ねることで、いつのまにか常人には巻き返しできないほどの差を作ってしまうんです。その結果、『龍』はその社会の頂点に登りつめ、その社会を支配し、その社会を一個の有機体に変えてしまいます」
「変えて、どうするんだ?」
「国家と言う兵器を持ってすれば、世界をどうにでもできるでしょう? あるいは、その国家自身を崩壊させることも可能でしょう」
「……なるほど。『龍』は『龍』自身の目的で動いているが、その『龍』をコントロールできるならば、『龍』が社会を掌握した後その社会を食い物にできるってことか」
「それも一つの使い方ですが、まあ、そんな感じです。使い方はお好みどおり、です」
「で、お前たち絶対メイドは、人工の『龍』だと?」
「マスターを『龍』にする補助兵器なのです」
「しかし、それが、世界に12機ねえ。最強の兵器なんだから、1機あれば充分じゃないか。多すぎるだろそれ」
「さあ、グローリアのやることですから、市場はこの世界だけじゃありませんからね」
「うーん。そんなもんかねえ」