出会い

 その卵みたいなのを拾って顔をあげた途端、僕の目の前にはメイドさんが立っていた。
「はじめましてご主人様。これからよろしくお願いしますね」
 ゴスロリメイドさんはスカートの端を持ってちょこんと礼をした。日曜日の昼間、秋葉原歩行者天国で、僕に向かって。
「……え? 何? どこの新作?」
 僕はメイド物エロゲの新作プロモーションだと思ってそう聞いたんだけど、彼女は違うと主張した。そう言えばチラシを持っていないし、写真を撮ろうとするカメラ小僧もいない。彼女の周囲にスタッフらしき人もいない。
「違いますよう。それ、触ったじゃないですか」
 メイドさんは、僕が持つ卵みたいなのを指した。
「あ、これ、君のなの? はい」
 僕は卵を差し出したが、メイドさんはそれを受け取ろうとしなかった。
「それはご主人様が拾ったのでご主人様の物です。それを拾ったので、あなたがご主人様なのです。それに私は、それに触ることができません」
……電波さんですか? もしかして僕、やばいことになってる?
 周囲を見回すが、オタクたちはよくある光景だとばかりに無関心だ。まあ、秋葉原だから、メイドさんなんてフィギュアを投げたら当たるくらいいて珍しくもないんだろうけど。
「え、でもこれ、君が落としたんでしょ?」
「落としたんじゃなくて、置いたんです。それに私は最初から触ってません」
「……もしかして、新手のSMプレイ? ご主人様がいて後で報告しないといけないとか?」
「私のご主人様はあなたですよ?」
……やっぱり。電波なんだろうな。こんなに可愛いのに。しっかりした目をしてるのに。らちがあきそうにないので、僕は派出所に行くことにした。警察に出るとなれば、電波さんなら逃げるだろう。逃げなくても、警察官から聞けば彼女の素性もはっきりするんじゃないかと。この卵みたいなのはそのまま落し物として届けてしまえばいいや。そんなことを思っていた。
 僕が歩き出すと、メイドさんはおとなしく着いてきた。どこまで着いてくるかわからないけど、それでも計算の内だ。
 ふと思いついて、手持ちのデジカメで写真を撮っておこうと思った。警察に何と言うにしろ、説明するのに必要だと思ったのだ。僕は派出所への道から外れ、裏道に入った。そこで他人が写らないようにメイドさんの写真を撮るつもりだった。
 そこで、裏道から出てきた連中と僕は鉢合わせしてしまった。
 その夜の新宿から遠征してきたみたいな格好の連中は、まさにその通りの人たちだったらしい。
「……見られたかな」
「あーあ、残念!」
「はい、もう二名様ごあんなーい!」
 その五人は口々にそんなことを言いながら、僕の腕をつかんでさっき出てきた路地に引っ張り込んだ。あっと言う間だった。
 路地の奥には、先客がいた。小便臭い壁にもたれかかるように腰を落とした小太りのオタクさんだ。あたりにはナップサックとその中身のオタクグッズがぶちまけられている。オタクさんは顔を腫らして鼻血を出してぶつぶつつぶやいている。その段になった腹の上に、薄っぺらい財布がポンと乗せられていた。
 僕は乱暴に押し込まれ、その名も知らぬオタクさんの前に膝をついた格好だった。これがもしかして、オタク狩って奴ですか?
 その時、僕は気付いた。あいつら、「二名様」って言わなかったか? それじゃもしかして。
 僕は立ち上がりながら体全体で振り向いた。いるよ。電波のメイドさんだ。状況がわかってないのか、普通の顔をしてる。
「手っ取り早くいこうか」
 あいつらの一人が、二回失敗した後で足先だけで足元の鉄パイプを跳ね上げて手に握った。顔には白痴めいたニヤニヤ笑いのまま、それを振り上げた。明らかに僕を狙ってる。
「そらよ!」
 鉄パイプが振り下ろされる。反射的に僕は両腕で頭をかばい目をつぶったが、いつまで経っても痛みは来なかった。
「ご主人様、どうします?」
 え? と思って目を上げると、僕のほうを向いたままのメイドさんが、振り下ろされた鉄パイプの反対側を握っているところだった。振り下ろした方は顔を真っ赤にして鉄パイプを押したり引いたりしているが、メイドさんはびくともしない。
「このまま、社会的ステルスモードで通常の対応をしますけど、よろしいですか? 特別な指示があれば今のうちにどうぞ」
「え? え? え?」
 僕がとまどっているうちに、もう一人がメイドさんに手をかけようとした。メイドさんはその手を鉄パイプを握っていない方の手で(背中を向けたまま)、手刀を振り下ろしてポッキリと折った。早業だった。血は一滴も出ていない。
 折られた方もあれ?と言う顔をしている内に、メイドさんは鉄パイプを突き出すように放した。持っている奴は見事に尻餅をついた。
「通常対応、開始します」
 メイドさんはそう言いながら振り返り(スカートが翻ってパンツが見えた。縞パン!?)、尻餅をついた男の鳩尾に、パンプスの爪先を埋め込んだ。男はぐっとか言いながら気絶した。
 何が起こっているのかわかってない残りの三人に対し、メイドさんは一歩踏み込んでギリギリのところで大きな左フックを放った。メイドさんの小さな拳は、正確に残りの三人の男の顎先をかすっていた。脳みそを大きく揺さぶられた三人は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「……ああっ!」
 折れた腕がようやく痛み出したのか、最後の男が声を出した。いつの間にか、腕を抱えて胎児のように丸くなっている。それに反応するように、メイドさんはさらに振り向きつつ、その男のうなじに足刀を叩き込んでいた。男は気絶した。
「さて、こいつらをどうします? ご主人様」
 メイドさんは僕の方を向いて、何の表情も浮かんでない顔でそう言った。