被害者は誰?

 その殺人の現場は、とあるプロレス団体の宿舎だった。アルファベット三文字を大きく書いた看板は、お世辞にも上等とは言えなかったが。歩きながら、刑事は現場から迎えに来た巡査に状況説明を求めた。
「で、被害者は?」
「ええと、プロレスラーです」
「まあ、そうだな。こんな場所だしな。これで被害者がプロレスラーじゃなかったら変だろう。だったら事件はすぐ解決だし。そうじゃなくて、誰なんだよ」
「えーと、それが、仮の名前しかわからないんですよ」
「本名不詳? そんなことはないだろう。プロレスラーは会社の社員だって聞いたぞ。会社が人員管理をしてないなんてことはないだろう」
「とにかく、不明なんです。ええと、どこから説明したものやら……」
 刑事は立ち止まり、あからさまにいらいらした顔を巡査に向けた。
「はっきりしろ。ああ、わかった。長くなってもいい。できるところから説明してくれ」
「はい、それでは……」
 その団体は、種々雑多なプロレス団体の中では、よりショー要素を重視した団体なのだと言う。
「プロレスってのは、ショーなのか?」
「ええ、まあ。専門用語でつくりとか言うんですが、試合の結果はあらかじめ決められており、選手はその結果になるようにうまく観客を楽しませながら戦うのが仕事です」
「はん、八百長って奴か」
 その刑事の言葉に、巡査はいきり立った。
八百長とは何ですか! 見る人に感動や興奮を与える仕事を(以下略)」
 数分後、刑事はおざなりに巡査をなだめた。
「わかったわかった。つまりはプロレスはリング上での舞台芸術であり、華麗な技を年間百を越える試合数見せつづけるために、選手は日夜血反吐を吐くような鍛錬をして、実際の強さを身につけて、それから演技の練習をするってことだな」
「わかっていただければ……結構です……」
 刑事はさらに数分、興奮した巡査の呼吸が落ち着くのを待ってから改めて状況説明を求めた。
「で?」
「はい、この団体はメキシコのルチャ・リブレ系の影響を強く受けておりまして、強いストーリー性とマスクマンのみの選手層が売りになっています」
「全員マスクマン? ……面白いのかそれ?」
「ストーリーにはまれば面白いですよ。マスクそれぞれに個性と関係があって……」
「わかったわかった。お前がプロレスマニアなのはよくわかった。で? 被害者は?」
「実はメキシコ系の男性としかわかっていません」
「そこだ。わからないなんてことがあるのか。それが俺にはわからん」
「それには、この会社の状況から説明しないといけません」
「うん」
「この団体は、社長を含むごく小数の背広組だけが正規の社員で、実際にリングに上る選手たちは個人事業主契約社員と言う扱いなんです」
「ほう」
「で、これがこの会社の経営状態です。給与の支払いを見てください」
「……ん? おい、これ、本名か? いや、違うな。これは選手名か。派手なマスクについてる名前にそれぞれ払ってるのか」
「そうなんです。これが本名でないことはわかりきってることなんですが、恐らくは選手たちも同意の上で、偽名の履歴書を作成し、それを団体に提出してその名前で契約をしてるんです」
「きちんと給料が支払われて、選手が文句を言わない限りは問題なさそうだな」
「実際、給料のことで選手が経営層と揉めたことはないそうです」
「だが、なんで会社はこんなことを?」
「実は、ここと契約している選手たちはほとんどがメキシコ系なんです」
「……密入国者か!」
「その可能性は高い、と移民局から何度か探りが入ってます。全員が全員そうとは限りませんけどね」
「まあ、つまり、団体の経営層はこのマスクの下が誰であろうと一切関知しないと言う建前なんだな」
「そういうことです。で、さらに問題になるのは選手の人数です」
「この名簿には、20人契約していることになってるな」
「はい、でも、実際にこの宿舎で生活していたのは、26人、全員リングに上がったことのある選手ばかりです」
「……計算が合わんじゃないか」
「ええ」
「どういうことだ?」
「さっき刑事が言ったことと同じですよ。マスクの下が誰であろうと構わない、のであれば、複数の選手が一つのマスクを共有してもおかしくない」
「その日、何かの理由でリングに上がれなければ、他の奴がマスクをかぶって出る……」
「ええ。台本は決まってますので、台本とおりにできればマスクの下は誰であろうと問題にならないんです。さらには、マスクの交換は日常的に行われ、複数人で複数のマスクを共有している内部グループもあるようです」
「団体は自分たちが雇っている人間の本名を知らない。どころか一つの名義で複数の人間を雇っていることに気付いていない」
「気付いていないかどうかは微妙ですけどね。黙認している可能性もありますが」
「で、選手同士はどうなんだ?」
「それが、この団体では常にマスクをかぶって生活することを奨励してまして、ええ、もちろんリングの上で自然に演技できるようにです。選手同士もお互いの素顔を見ることがほとんどなかったんです」
「じゃあ、選手同士でマスクの下の個人を確認するのはどうやってたんだ?」
「体つきか、団体と契約する前からの知人か、あるいは組み合った時の感触とか使う技の傾向とか、そんなので判断していたようです」
「……改めて聞く。被害者は誰だ?」
「本名不詳、メキシコ系男性です」
「……そこから調べなきゃならんのか」

 刑事と巡査が重い足取りで現場につくと、検死官とプロファイラーが最初の仕事を終えたところだった。二人は刑事の姿を認めると、近寄ってきた。
「まずは検死の結果を教えてくれ」
「背後から刃物で延髄を一突き。どんなに体を鍛えたプロレスラーでも、人間としての構造は変えられなかったってところかな。犯人は多分、顔見知りだ」
「顔見知り、ね」
 今ほどその言葉が無意味に聞こえる瞬間はなかった。検死官は気の毒そうな視線を刑事に送りながら、話を続けた。
「凶器は見つかったが、指紋はない。布みたいなもので柄をくるんでから使ってる。これには少量の血液が付着しているはずだ」
「マスクかタオルか……」
「多分な。でも、今は全部洗濯して干してある。被害者の死亡推定時刻の後だ」
「ルミノール反応使えば、洗った後でも反応は出るだろう?」
「出るさ。でもな。流血しないプロレスラーはいないし、血の染みないマスクはない。タオルだって同じことさ。特にこの団体は凄惨な流血ファイトも売りの一つだ」
「その線でたぐるのは望みが薄そうだな」
 刑事はプロファイラーを向いた。プロファイラーは説明し始める。
「犯人は単独。男性で強靭な体を持っている。教育水準は低く、恐らくは移民。犯行の動機は怨恨。だから金には手がつけられていない。被害者への殺意は前々からためていたんだろうが、行動自体は突発的だ」
「毎度毎度、役に立たない情報をありがとう」
「同情するよ。毎度毎度」
 刑事は肩をすくめて返ってきた皮肉を受け流した。そしてひざまずき、カバーを外して物言わぬ被害者を観察する。やがて何か気付き、誰にともなく質問した。
「……なあ、この被害者、殺された時にマスクをつけていた可能性は?」
「ああ、マスクはつけていたね。そして殺された後で外されている。そのマスクは多分外で他のマスクに混じって干されているよ」
「と、言うことは、犯人は憎い奴と間違えてこいつを殺した可能性もあるんだな」
 刑事以外の全員が顔を見合わせた。その通りだ。犯人が必ずしも意中の人物を殺したとは限らない。
「……でも、選手は全員別室に閉じ込めてありますし、周辺の聞き込みでも、昨夜は死亡推定時刻以降プロレスラーを見かけなかったと」
 プロレスラーの肉体に匿名性はない。だから、出歩けば必ず誰かの目に止まり、記憶されてしまう。この証言は信用していいだろう。
「つまり、犯人は閉じ込めてあるレスラーたちの中にいる。これだけが確かなことのようだな……」

マッチメイクを読んだ後で思いついたネタです。