三日目

 私が帰った時、家の中は何もできていなかった。三日連続だ。
 何かを期待しつつ、リビングの照明をつけると、やはりそこに妻がいた。何か急用ができて外出したとか言うのなら、まだそっちの理由の方がよかったのだが、これまでと同じように読書をしていた。
 ん? あれ? 三国志じゃないのか?
 本の背中に三国志の文字がない……が、近寄ってよく見ると、「曹」の字が見えた。作者は同じ陳舜臣だが。
「間違い探しじゃないって言ってるだろう!」
「んー?」
 思わず声を荒げた私に対し、妻は不機嫌そうにまゆをひそめた。
「一体、誰から借りてるんだいつもいつもいつも……」
「んー」
 ぶつぶつ言いながら私は、その日も台所に立った。

本日の本

陳舜臣による三国志関連本

中国全土ではなく、曹操とその一族の興亡史として見た三国志。三冊目は特に曹植の視点が強い。

二日目

 私が帰った時、やっぱり家の中は何もできていなかった。
 まさかと思いつつ、リビングの照明をつけると、やはりそこに妻がいた。寝食も忘れ、日が落ちたことにも気付かず、同じ姿勢で同じように本を読んでいた。ただ一つ、読んでいる本が違っていた。
「……間違い探しじゃないんだからさあ」
「んー」
 よく見ると、文庫本ではなく単行本であった。タイトルは、秘本三国志
「……どうだ。面白いか?」
 私は精一杯の皮肉をこめて妻に問うたが、それに気付いたのか気付かなかったのか、妻の返事はシンプルだった。
「あんまし」
 天下の陳舜臣も物の価値のわからない人間にとってはこんなものか。
 私はもう一度溜息をして、台所に立った。

本日の本

陳舜臣による三国志

他に、文庫本もある。

一日目

 私が帰った時、家の中は何もできていなかった。
 夕食は愚か、洗濯機も掃除機も私が朝出た時そのままになっていた。何か嫌な予感がして、慌ててリビングの照明を入れると、果たして妻はそこにいた。
「……何やってるんだ」
「んー、読書」
 ソファーに寝そべり文庫本をめくる妻の横には、誰かから借りてきたとおぼしき同じような文庫本が七冊あった。
「なんだこりゃ……三国志ぃ?」
「んー」
 妻は文庫本から目を離さずに、肯定とも否定ともつかない返事をした。そのあまりにも没頭した様子に、私は溜息とともにまともな会話を諦めた。こうなった妻は、どうにも動かないだろう。
「今日は俺がするけど、明日はちゃんと家事してくれよ?」
「んー」
 通じたのかどうかははなはだ怪しかった。いや、通じてないだろうなあ。
 私はもう一度溜息をして、台所に立った。

第一幕第二場

スポットライトがつく、あいかわらず、火とバッベラーとカッパールだけを照らしている。未だに夜だ。
カッパール、広げた道具を全てリュックに詰めなおし、マグカップだけを手に持つ。
バッベラー「食事は済んだようだね」
カッパール「はい。……それでは博士、義務を果たさせていただきます」
同時に、舞台左手からウルルがこっそり登場。驚かせようとカッパールに背中から抱きつく。
ウルル「お客さんだーっ!」
カッパール(同時に)「うわああああっ!」
ウルル「

第一幕第一場

舞台は暗く、夜であることを示している。
舞台中央に焚き火が燃えている。
舞台右手にスポットライト。高い木と、その木の又に腰掛けてディジィリドゥーを抱えるバッベラーが浮かび上がる。バッベラーはディジィリドゥーを抱きしめ、じっと目をつぶっている。
やがて、舞台左手からスポットライトを浴びながらカッパールが入場。
カッパールは疲労困憊しながら入場し、焚き火の手前で荷物を投げ捨てつつ、大の字に寝転ぶ。場所はちょうど、焚き火をはさんだ反対側になる。
バッベラーはそれをちらっと見るだけで何も言わず、元の姿勢に戻る。
やがて息の整ったカッパールは、体をおこし、バッベラーを見上げる。
カッパール「バッベラー博士、お久しぶりです。カッパールです」
バッベラー「カッパール君かね。また会えて嬉しいよ。久しぶりと言うほど長かったかな」
カッパール「半年は、充分に長いと思います。ええまあ、アメリカ合衆国では、ですが」
バッベラー「そうか、もう半年も経っておったか。……十年経ったような気もするし、三日くらいのような気もするが」
カッパール「博士がアボリジニ出身だとは、ついぞ知りませんでしたよ」
バッベラー「はて、オーストラリア出身だとは聞いてなかったかね?」
カッパール「それは知っていましたが、アフリカ系移民だとばかり思っておりました」
バッベラー「伝聞に頼らず自分で最後の小数点まで確認しなければ、と君は言っていたんじゃなかったかな。確か、マサチューセッツにいた頃から」
カッパール「おっしゃる通りです。実生活のこととなると、妙な倫理観がついて回るようで」
沈黙
バッベラー「……それで? 合衆国の一つや二つ傾かせ得る機密を脳におさめた、若く有望な研究者が、象牙の塔を出てはるばる南の島までやってきた理由は、一体何かね」
カッパール、しばらく黙った末に。
カッパール「それはもう、ご存知でしょう、博士。あなたのやったことですよ」
バッベラー「『伝聞に頼らず自分で最後の小数点まで確認しなければ』ならないんじゃないかな」
カッパール「博士!」
バッベラー「喉は渇いてないか。腹は空いてないか。遠いところをわざわざ自分の足でやってきたんだろう。体中ボロボロのはずだ。それに用が済んだとて、もう日は落ちた。帰るに帰れないだろう。ここなら安心だ。火から離れるなよ。虫避けの木を一緒に焼いているからな。マラリヤは未だに定番の特効薬がないのだから」
カッパール、慌てて火に寄ろうとして熱さに踏みとどまる。
カッパール「帰れないと言う意見には賛成です。むしろ、ここまでたどり着けたことの方が驚きでしたが……」
バッベラー「無謀なことをする。一人で海を越えて島までやってくるとは。途中道に迷ったらどうするつもりだったんだね?」
カッパール「道なんて最初からなかったじゃないですか。それに、それだけのリスクを、冒す価値はありますよ」
バッベラー「それは君の判断ではなかろう。ましてや君の意思でもない」
カッパール、沈黙
バッベラー「君を動かしたのは一体なんだ。名誉か。金銭欲か。知識欲か。国民の義務か」
カッパール「……一番の理由は、国民の義務とさせてください。次に大きいのが、知識欲。これが、僕に言える精一杯です」
バッベラー「私は逃げも隠れもしない。君が茶を飲むくらいはここでこうして待つのは簡単だ。ああ、私の分は要らんよ。食事はさっき済ませたからね」
カッパール「……では、失礼して」
カッパール、リュックの中から色々出し始める。スポットライトはどんどん薄くなり、舞台全体が暗転。

設定

参考資料:http://www.jsm.vic.edu.au/12syakai/siryo/06/

登場人物

バッベラー
男性。アボリジニの老人。常に裸同然の格好をして、木の上でディジィリドゥーを携えている。常に穏やかな微笑を浮かべ、老成した印象。
カッパール
男性。白人の青年。探検隊がよくやる格好をして、大きな荷物を抱えている。常に眉間に皺を寄せ、真面目な印象。
ウルル
女性。アボリジニの少女。伝統的なアボリジニの服装をしている。何も持たず、常に笑顔を浮かべ、活発に動き回る。素直な印象。
上司
男性。白人の中年。スーツ姿。無表情で、身元を示す物は何もない。